演奏における過去、現在、未来
ここから前置き。
「過去心不可得 現在心不可得 未来心不可得」
これは「金剛般若経」というお経に出てくる一節です。
意訳すると、「過去というのは存在しない。現在というのも存在しない。未来という存在もない。」
過去の心というのは刹那変化し続けて現在や未来になるので存在しない。同じように、現在の心は瞬時に過去となり存在しない。未来の心も次の瞬間現在になり、存在し得ない、という教えです。
今いる世界は刹那で変化し続けていて、そこに過去も現在も未来も無い。ゆえに過去現在未来のそれぞれの心も存在しない。つまり心そのものは存在しない。だから、自分の心に束縛されるという事はない。というのが本来の意味。
ここまでが前置き。長い。
ここからが音楽の話。
音楽の演奏にも、この「過去心不可得 現在心不可得 未来心不可得」は関係してくるんじゃないか、と思ってます。
演奏における動作で見てみると
過去=どのような動作をして、結果どのような音が鳴ったか
現在=今どのような動作をしているか
未来=狙った音を出すため、次にどのような動作をするか
にまとめられると思います。
今出した音は瞬時に過去になり、次に出した音は現在になる。そして過去に出した音が影響して「さっきはこう出してこうなったから、今度はこうしよう」と未来になる。
これらは刹那で変化していって、いつまでも一つの場所に止まることを許してくれません。止まろうとすると、演奏が進みません。
過去の音にこだわり過ぎると次の音に意識がいかず、フレーズが作れない。
現在にこだわり過ぎても曲全体に目がいかず、ただの音の羅列になる。
未来にこだわり過ぎても音のフィードバックが出来ず、ただ勢いに任せるだけになる。
ここまでが音楽の話。長い。
以上の無駄に長い二つの説明を合わせると、「演奏中に過去に囚われても、現在に執着し過ぎても、未来に意識を向け過ぎても、それらは刹那で変化し続けて存在しないのだから、無駄である。」ということになります。
だから、過去も現在も未来も、その言葉に囚われることなく、全部一緒くたに見ちゃえ!というのを、演奏家という人間は、演奏中にやっていると思います。
つまり、先ほどの
「過去=どのような動作をして、結果どのような音が鳴ったか
現在=今どのような動作をしているか
未来=狙った音を出すため、次にどのような動作をするか」
を同時に行なっているわけです。
音楽というのは時間芸術です。時間というのは、過去、現在、未来の三つから成り立つ概念です。
ただ、どれか一つに囚われていると良い音楽は出来ません。
だから、刹那に変わり続ける過去や現在や未来に、囚われていても意味がない。それが「過去心不可得 現在心不可得 未来心不可得」なのだと思います。
だから私も過去に囚われることなく生きていきたいと思います。あーでも高校生の頃に戻りてーなー。