常識について
さて、昨今の自己啓発本などでよく言われる言葉の一つに、「自分の常識を疑え!」というのがありますね。
そもそも「常識」ってなんでしょ。
とりあえず辞書によると
じょうしき【常識】
ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
–大辞林第三版より
なるほど。
これに「自分の」とつくわけだから、ある社会=自分、であるときの事を言うのでしょうかね。
つまり自分の中で当たり前だと思っている知識や判断力。
ところで、私は毎朝グラノーラに牛乳をかけて食べています。
え、僧侶なのに和食じゃないの?んなこたーどうでもいいんだよ今は。
自分では、グラノーラには牛乳をかけるのが常識でした。それ以外の方法で食べた事ない。
でも確かに、グラノーラをヨーグルトに入れたっていいし、コーヒーを入れても良さそうだし、なんならレッドブルに入れても良い。
いや最後のはやっぱ無しで。
とにかく「自分の常識を疑え!」というのは、今まで当たり前にやってきたことを見直して、必要があれば変えていくということですね。
私が修行した僧堂の老大師が常日頃から仰っていた言葉は、「人の真似して、それに成り切れ」でした。
動作だったら他人の動きにピッタリと合わせる。
お経だったら他人の声の抑揚、高さを合わせる。
やり方も自分のやり方でなく、他人のやり方を真似する。
それらをやることで他人に成り切り、自分を捨てる。それが禅だ、と。
これ、「自分の常識を捨てる」という事に繋がると思います。
自分を捨て、自分以外のやり方を真似し、そのやり方を習得するまで繰り返す。
となると、そのためには他人をちゃんと見ないと、そのやり方はわからないわけで。
だから、「自分の常識を捨てる=他人に対しアンテナを張る」という事なのだと思います。
見本となる他人を見つけ、その人に成り切ってみましょう。
自分の常識を捨てるきっかけが掴めるかもしれません。
なので、私も自分の常識を捨てるために明日からグラノーラにレッドブルをかけてみようと思います。オエッ